カンタベリー大聖堂 Canterbury Cathedral
10年ぶりにカンタベリー大聖堂に遣ってきた。ガーデンがメイン・テーマの私たちの旅に大聖堂は余りフィットしない。
しかし、昨年の旅で訪れたダラム大聖堂で厳粛な儀式に遭遇し、荘厳な建築美に日頃不信心な私だが感動した。
そこで今年は”大聖堂”も旅のテーマの一つにしたのだ。(実は廃墟には少し食傷気味になっているのも一つの所以だ)
カンタベリー大聖堂はいわずと知れたイギリス国教会の大本山であり、世界遺産でもある。今年の一つ目の大聖堂に相応しい。
何故? 何時から? カトリックの聖地がイギリス国教会の大本山となったのか?
カンタベリー大聖堂の歴史は597年にローマ教皇から送られた聖アウグスティヌス(St Augustine)がこの地に大聖堂を設立した時に始まる。
1170年、時の国王ヘンリー2世と対立した大司教トマス・ベケット(Thomas Becket)はカンタベリー大聖堂内の祭壇で祈っているところをヘンリー2世の騎士に暗殺される。
死後、ローマ教皇から列聖されたことや、重病人や瀕死の怪我人の元にベケットが現れて次々と治すという奇跡を起こすようになり、
このベケットの奇跡はすぐに大評判となり、カンタベリーは聖地として世界中から巡礼者が詣でるようになる。
1534年、ヘンリー8世は自らの婚姻無効(離婚)を認めぬローマ教皇と断絶し、自らを首長とするイギリス国教会を創設したのだ。
ヘンリー8世はカンタベリー大聖堂の大司教に離婚を認めさせ、以降カンタベリー大聖堂を国教会のトップに位置づけた。
1559年、エリザベス1世の「統一令」により、カンタベリー大司教は、カンタベリー大主教と改められ英国国教会の総本山の地位を獲得したというわけだ。
カンタベリーの市街地は城壁(City Wall)で囲まれている。道も狭く入り組んでおり、混雑している。そういう所には入り込まないのが懸命だ。
ウェスト・ゲート・タワー(West Gate Towers)の直ぐ脇で城壁の外に"North Lane car park"を見つけてあった。
ナビ子ちゃんの案内でスムーズに到着したが、満車だ。一つ空きはあったのだが、隣の車がラインぎりぎりに止めてあるのでスペースが狭い。
今年は大きな車を借りてしまったので狭いスペースへの駐車は困難なのだ。暫し待ってみるが空く様子がない。
意を決して狭い場所にチャレンジする。通路の幅も少ないので苦労する。迷ナビの誘導(これが案外当てにならない)を借りて、
何度も切り返しをしてようやく収まった。3時間のチケットを買いダッシュボードに貼り付けて、いざ出発というところで空きが出来た。
ウェスト・ゲート・タワー(写真上左)は飾り気のないどっしりした武骨な姿だ。タワーを挟んでパーキングとは反対側に
ウェストゲート・ガーデン(Westgate Garden)がある(写真上左から2枚目)。お堀にしては綺麗な流れだと思ったら、
"Great Stour"という川だった。両岸に花壇が設けられている。夏の草花がまだ十分に生育していないが、
その手入れの良さから夏の美しさが伺える。雨は来る途中から、すっかり上がり、観光日和だ。
ゲートを潜り"St Peters Street"を進むと"High Street"に繋がる。11時前だが、すでに観光客か巡礼者か、人で溢れている。
Great Stourの支流の橋の上にカンタベリーでのお目当ての一つ"Canterbury Historic River Tours"の客引きが立っている。
「予約は必要か?」と訊ねると「15分おきに出ているから必要ない」とのことだ。橋の袂の家は"The Old Weavers house AD 1500"と表示してある(写真上右から2枚目)。
不信心者ながら、ここでは先ず大聖堂詣りが先というものだろう。ハイストリートを200mほど進み、左にゲートタワーが見える通り(Mercery Lane)を左折すると
"Butter Market"という広場に出る。目の前にクライスト・チャーチ・ゲートウェイ(Christ Church Gate)が聳えている(写真上右)。
1517年に出来たというが、中央のブロンズ像は1642年に破壊されていたものを1991年に復元したものだ。石の古色とマッチせず浮いて見えるのは仕方がない。
キリストが両手を広げ巡礼者を招いているデザインだ。キリスト像の両側には天使像、下の列には紋章がずらりと並んでいる。
広場は新旧の建物に囲まれ、中央には戦争記念碑が立ち、屋台も出ている。
カフェやレストランのテーブルや椅子が並び、ゲートウェイの右隣にはスタバもある。
”世界で最も写真を撮られた場所”といわれるが、撮影もままならないほどに人でごった返している。
実は、パーキングに車を止めてからまだ大聖堂の姿は建物に阻まれて一度も見えていないのだ。ゲートウェーの下でチケットを求める列に並んでいると
始めてその姿が現れた(写真上左)。唐突ともいえるその出現は感動を覚える。見えたのは大聖堂の西の端の"West Tower"だ。
大聖堂の建物は1070年〜1180年に掛けて建設されたロマネスク様式と1379年〜1503年に掛けて建設されたゴシック様式が混在しているという。
東西全長157mという荘厳な建物は私のデジカメではこの角度でないと全部は収まらない(写真上左から2枚目)。大まかに言って中央のタワーより向こう
(東側)がロマネスク様式、手前(西側)がゴシック様式といえる。左のペアのタワーが"West Tower"の"Oxford Tower"(手前)と"Arundel Tower"(奥)だ。
Oxford Towerは15世紀、Arundel Towerは19世紀に再建された。中央のタワーが"Bell Harry Tower"15世紀末の建設だ。
3つのタワーで最も高いのがArundel Towerで58mある。
Oxford Towerのポーチから入場する(写真上中)。入ったところが身廊だ。幅24m、長さ54mと壮大だが、なんといってもその高さに目を見張る。
整然と林立する石柱は金色に輝く優雅な丸天井を支え、その高さは24mもあるという。天井の精巧なディテールは石造りとは思えない。
この垂直性を極端に強調した垂直式ゴシック様式(Perpendicular Gothicr Style)は上昇感(高揚感)と下降感(抑圧感)がせめぎ合う不思議な感覚を覚える。
写真上右から2枚目は身廊西から聖歌隊席方向を、右は身廊東端から西端のステンドグラス(後出)を望む。その荘厳さを表しきれていないのが残念だ。
大理石のアーチウェイ(写真上左から2枚目)を潜って聖歌隊席(Choir)に入りる(写真上中)。荘厳さに厳粛さが加わり身が引き締まる思いだ。
人は大勢いるのだが静寂ささえ感じる。何が尊く、どこを撮れば良いのか分からない。
トリニティー礼拝堂(Trinity Chapel)に入って美しい撮影ターゲットが見つかった。それがステンドグラスだ。幾つか撮った内、説明のつくものだけ掲載しよう。
写真上右は上述の聖トマス ・ベケットの生涯と死後の奇跡を描いた8枚のステンドグラス(Thomas Becket Window)の内の4番目と5番目だ。
1220年の作だという。
大聖堂の最も東の端はコロナ(Corona)といわれる円形の部分だ。そこのステンドグラスが下左の写真だ。
その中央のグラスは"The Corona Redemption Window"といわれ旧約聖書のキリストの受難と復活の5つの場面を表している。
左のグラスは"Tree of Jesse Window"と呼ばれる。共に1200年の作品だ。
下左から2枚目はThomas Becket Windowシリーズの7番目の作品で同じく1220年作という。
真ん中は聖サンセルム礼拝堂のステンドグラスで"St. Anselm's Window"だ。これは新しく1959年の作だ。
右から2枚目は南東袖廊(Southeast Transept)の" Peace Window"だ。在天のキリストが全ての国の子供を迎えている様子を表す。1956年作。
右は身廊の西の端の"West Window"だ。大聖堂で最も古いステンドグラスである"Adam Delving"を含んでいる。1176年の作だという。
Adam Delvingは一番下の列の真ん中のグラスだ。拡大写真は写真をクリック。
大聖堂の最古の部分はその歴史を11世紀に遡るという地下聖堂(Crypt)だ。祈りを捧げ、黙想を行う場所だということで薄暗く厳粛な雰囲気に包まれる。
写真撮影も禁じられている。信心心のない私には重苦しさが襲う。静かに一巡りして退室する。
新鮮な空気に触れたくて身廊北側の回廊(Cloister)に出るとこの旅初めての日本人と遭遇する。首から提げたネームプレートを示し、
自己紹介を始める。イギリスでは出会ったことがないが、嘗てイタリアやフランスで近寄ってきた胡散臭い人と同属かと一瞬敬遠したが、
英国公認だったかカンタベリー大聖堂公認だったかのガイド資格を取得したばかりの女性で「良かったらガイドさせてください」と言う。
「大聖堂と地下聖堂は見た」と言うと「回廊の説明をしましょう」とレクチャーが始まる。「ここは大回廊(Great Cloister)といい、
15世紀に建設されたものだ」とのこと(写真下左2枚)。見事な建築物だ。回廊は風が通って気持ちが良い。アーチのデザインも清涼感がある。
「天井の紋章をご覧ください」と言われ天井を見ると紋章がいっぱい貼り付けてある。15世紀の回廊再建の功労者の紋章を貼ったものだ(写真下右2枚)。
800以上飾られているという。神社や寺院の奉納札(「金、○○○円也、何野誰兵衛様」と書かれた紙や板)みたいなものだ。さすがに金額までは書いていない。
その後も皇室の紋章や大司教の紋章が追加されているらしい。
「次は参事会会議場(チャプターハウス Chapter House)をご案内しましょう」と回廊脇の部屋に案内される。1300年代に建造されたもので
イギリスで最も大きなチャプターハウスだという。正面(東)と入り口(西)の上部に大きなステンドグラスがある。
正面のものはカンタベリー大聖堂の始まりからビクトリア女王までの歴史に関わった人物が描かれている(写真下左)。
上の列の左から3枚にケント王国のエセルバート王(King Ethelbert of Kent)がいる。聖アウグスティヌスがイギリスに到着して最初に援助を求めた王だ。
一番左が王妃バーサ(Bertha)、二人に挟まれて聖アウグスティヌスがいる。大聖堂の端緒だ。その後は年代順に下の列右のビクトリア女王まで並んでいる。
ちなみにトマス・ベケットは中の列の左に、ヘンリー8世は下の列左から2番目に描かれている。
入り口のステンドグラスには大聖堂にまつわる様々な場面が描かれているという(写真下左から2枚目)。
小さくて分かり難いが、上の列左から3枚目はエセルバート王の洗礼の場面(ベケットが渡った当時は王妃はキリスト教徒だったが、
王はまだ異教徒だった)が、中の列左から2枚目はトマス・ベケットが暗殺される場面などだ。(クリックして拡大写真をお楽しみください)
1400年代初めの天井は高く、その装飾も素晴らしい(写真下中)。オークの木で造られている。両側の窓にもステンドグラスがずらりと並んでいる(写真下右から2枚目)。
現在は多目的ホールとして使われており、民間にも貸し出されるそうだ。結婚パーティーや晩餐会などが開かれるのだろう。
ガイドさんは張り切っている。「今度は古い時代の廃墟や薬草園をお見せしましょう」と奥に進んで行く。
図書館や蔵書館の裏手、大聖堂の北の部分にある、かなり崩れ落ちた石の壁に囲まれたエリアに案内される。個人ではこんな奥まではとても足を運ばない場所だ。
芝の中に石柱の基部なども残っている。何時の時代のものか説明があったろうに覚えていない。そんな中に何ヶ所かハーブらしきものが植えてある。
これが薬草園なのかもしれない。その先の住宅は修道士の住まいなのだという。
その一角に給水塔(写真下右 Norman Water Tower)がある。12世紀に造られたもので、ここから大聖堂に鉛の水道管が引かれていたのだ。
思い掛けないガイドさんとの遭遇で面白いところを見せていただいた。プライベートなことには一切触れず、ガイドに徹したプロだった。
Address | 11 The Precincts, Canterbury, CT1 2EH |
Telephone | 01227 762862 |
Web Site | Canterbury Cathedral |
オープンの日・時間や入場料は Web Site あるいは
Gardens Finder
Gardens Guideで確認ください。
「旅行記」もご覧ください。